【今月の法語】人を許せないのは 相手のせいじゃない 自分の心が狭くなっている

新潟県新潟市・下越地域にある【浄土真宗本願寺派 太子山 明誓寺】です。
当ブログ『仏事のイロハ』では、葬儀や法事、ご供養に関することや法話などを発信し、仏事に関する基礎知識やよくあるご質問にお答えしながら、現代の暮らしに合った供養のかたちをご紹介してまいります。
「お葬式や法事、何から始めればいいのか迷っている…」「お墓のこと、将来どうしよう…」そんな疑問や不安をお持ちの方にとって、少しでも参考になる情報をお届けできれば幸いです。

目次

学ぶ意味とは・・・

残暑厳しく、日差しがまだまだ弱まる気配が見えぬ中、秋の訪れはもう少し先のようです。
ご門徒の皆さまにおかれましては、ますますお念仏相続のこととお慶び申し上げます。

さて、先月はお盆のお仏壇参りやお墓参り、大変お疲れさまでございました。
今年は、八月中旬に大雨の日が続き、戸惑われた方も多かったのではないかと思います。

しかし、十三日には幸い晴れ間にも恵まれ、いつも通りのお墓参りができた方も多かったのではないでしょうか。

今年は、わが家にも新しい家族が加わり、にぎやかなお盆となりました。
長男は、昨年に引き続き一生懸命お手伝いをしてくれ、甥っ子も一緒に加わってくれる姿に、あと何年こうして手伝ってくれるのだろうかと、少し感傷にひたる場面もございました。

ところで、小学校はお盆の期間中は夏休みでございます。
今の夏休みは、私が子どもの頃に比べると宿題がやや少ないように感じます。

それでも、子どもたちにとって勉強という課題は、できれば避けたいものなのでしょう。笑
うちの子も甥っ子も、夏休み中は宿題や自学に追われておりました。

私たち大人もまた、資格の勉強、仕事の勉強、趣味の勉強など、必要に応じて学ぶ機会が訪れます。

では、なぜ勉強をしなければならないのか。

ある時、お参りに行った先で、お孫さんから「どうして勉強しないといけないの?」と尋ねられたことがございました。
その問いを考えていた折、インターネットで興味深い答えを見つけました。

少し長くなりますが、とても面白い内容でしたので、ぜひご紹介させていただきます。

『子供になぜ、勉強するの?と聞かれた時は

目の前にコップを置いて

算数を勉強したら

ここには200㎖の水があると分かる

理科を勉強したら

水は水素と酸素でできている事が分かる

コップには浄水場でキレイになった水が

入っていて飲める事が分かり

世界にはキレイな水を飲む事ができない

人もいることが分かる

この水の反射をどうやったらキレイに

描く事ができるか分かる

水の量で響く音が違う事が分かり

その音をどうやったら表現できるか分かる

このコップが何から作られ

どうして水が漏れないか分かる

この水が身体にどう必要なのか分かる

水を分け合う事の大切さが分かる

この話しが理解できる

この話しを世界の人にする事ができる

そして哲学を勉強したら

この話しに何の意味があるのか

考えるようになる

ここにはただの『みず』がある』

 

一見すると何気ないお話ですが、「知ること」と「知らないこと」の違いをはっきりと教えてくれる内容だと思います。

学ぶ前と学んだ後では、物の見え方や考え方、感じ方が大きく変わるということを、端的に、そして分かりやすく示しているように思います。

ここまで私の拙い文章を読んでくださっている皆さまは、国語を学ばれたから文字を読み進めることができ、道徳や倫理を培われているからこそ、読みながら様々なことを感じてくださっているのだと思います。

けれども、もしそれらを学んでいなかったら……。

学ぶということは、一が十にも百にも見えてくることなのかもしれませんね。 最後に、私が考える仏教を学ぶということを、このお話のかたちにならって書いてみたいと思います。

仏教を勉強したならば

いのちは「一人で生きている」のではなく

たくさんのつながりに

助けられていると分かる

仏教を勉強したならば

かなしい気持ちも

「大切な心のはたらき」であると分かる

仏教を勉強したならば

「さようなら」が

ほんとうは「ありがとう」と

つながっていることが分かる

仏教を勉強したならば

あたりまえに思える毎日が

じつはありがたいことの

集まりだと分かる

仏教を勉強したならば

「じぶん」という存在は

すでにたくさんの人や自然に支えられて

生きていると分かる

仏教を勉強したならば

「おわり」と思えることも

やさしい光に

抱かれていくことだと分かる

仏教を勉強しなければ

お経はただの「むずかしい言葉」で終わり

お参りはただの「ならわし」で終わり

いのちはただの「始まりと終わり」で

終わってしまう。

お経も、お参りも、いのちも、ときにはただの「形」として受けとめられてしまうことがあります。

声を出して読むことや、手を合わせることも、「昔からの習慣だから」と思えば、それだけで終わってしまうかもしれません。

けれども、その「形」の奥には、願いや祈り、そして私たちを支えてくださる多くのご縁が込められています。

そのことに少しでも気づくとき、ただの形だと思っていたものが、実は私たちの心をやさしく映し出すものに変わっていきます。

仏教を学ぶということは、そうした「形」を通して、その奥にある心を見つめていくことではないでしょうか。

日々の暮らしのなかで、何気ないことを「ありがたい」と感じられるようになったり、別れの悲しみのなかに「ありがとう」を見いだせるようになったりする。

その気づきは大きなものではなくても、きっと私たちを支えてくれる静かな力となっていきます。 どうかこの学びが、皆さまにとって「明日を歩む力」となり、あたたかく日常を照らしてくれますように念じさせて頂きます。

新潟市の太子山明誓寺では、「お墓の継承が難しい」「墓じまいを考えている」といったお悩みに応えるため、永代供養墓(合同墓)を整備しております。ご遺族に代わって、責任をもってご供養いたしますので、後継者のいない方にも安心してご利用いただけます。
また、近年ご希望が増えているペット供養墓もご用意しております。大切な家族の一員であるペットにも、心を込めたご供養を。
永代供養墓・ペット墓の見学やご相談はいつでも承っておりますので、新潟市、新発田市、阿賀野市、五泉市、加茂市、三条市、長岡市、燕市、聖籠町、弥彦村で供養のことでお悩みの方は、どうぞお気軽にお問い合わせください。

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